2009年05月03日
鉄腕アトムの街

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・距離 6.6km
・8261歩
・2時間4分
・426kcal
・おにぎり2.7個分の消費
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これは先日歩いた、心斎橋~十三までの距離よりも遠いんですね。これって意外です。
この道歩きながら、ケータイのカメラで被写体を探すのですが、それらしいモノってなかなかないんです。でも、いくつか撮りましたので、それはまたの機会に載せれたらと思います。(タカケンクリーニングとか、春日神社とか、ペットホテルとか・・・)
で、この道歩いてて凄く気になったのですが、廃墟が増えてきたという事です。
ガソリンスタンドや、カーショップ、コンビニなどが次々と消えてきているように思います。こういう事は以前からあったと思うのですが、次の店舗が入るまでの期間が短いので「廃墟」になる間もなかったんだろうと思います。ですが最近は、次の店舗が決まらないのか、「廃墟」になってしまうようです。
それともうひとつ気になるのは、この道は阪神高速から見たら「広告だらけ」の道で、いたるところに大きな看板が目立つ道だったのですが、その看板も白紙が目立つようになりました。
僕的には、このあたりの街は高度成長期の代名詞な大阪万国博覧会から大阪市内へ行くための「つなぎの街、つなぎの道」という印象がありました。
大阪万博の外周道路、モノレール、新御堂筋、これらは僕が子供の頃に夢見た鉄腕アトムにでてくる街並みを少しだけ連想させるものでした。子どもの頃に買ってもらった、百科事典とかにでてくる街並みでした。それが僕のイメージにある「北摂」のとくに豊中や千里です。
大阪市内で生まれ育った僕が少し大阪の事を全体的に見れるようになった18歳くらいから、豊中というのは、とてもお洒落で、進んでいて、空気が良くて、ゴミひとつ落ちてなくて、奇麗な町で、活気のある街で、野良犬や野良猫がいない、という印象を強くもっていました。
これを逆方向から見ると、豊中はそれだけ歴史の浅い街? 新しい街? 戦後のどさくさでできた街ではなく、きちっと計画されて作られた街なのかなと思います。
その計画されてきた街が、油絵のキャンパスに重ね塗りで新しい絵を書こうとしてるんだけど、次の絵が決まらないという状況に見えます。
若い夫婦がこの新しい街を目指して引っ越してきたり、他府県からの転勤族が選ぶ街だったりして、その子供が成人しだしたこの時期。ほんとうは二世代、三世代の街じゃなきゃいけないんだろうけど、二世代で完結してしまうんじゃないかという不安があります。僕らって孫の顔を見ることができるのかな?この豊中に住んでいる間に孫を見ることができるのかな?
それができなければ、この豊中って街・・終わってしまう?
淀川から南、中央大通りから東大阪や泉南までの南方面、この不景気だから決して活気があるとはいえないけれど、何世代も続く歴史がある。それがあるかぎり再生はできそうな気がする。
もっともっと赤ちゃんの顔をいっぱい見たいし、小学生が走りまわるところみたい。
豊中って、なんかの統計的なデータとかにごまかされてるような気がする。
僕、なんかこの街って「ハリボテ」というか、なんか芝居のセットのような街に見える。虚像のような感じすらする。淀川の向こうにある「中津方面」から豊中覗いたら、豊中って街、蜃気楼なんじゃないかと感じることすらある。
Posted by an-donuts at 14:47
│an-donuts